「直指人心」(直ちに人の心を指す)とは、言葉や書物に頼らないで、自分の心の奥に存在する自己の本心(心の心)を見据え、素早くこれをとらえなさいということです。 白隠禅師(一六八五〜ー一七六八)が坐禅和讃(ざぜんわさん)のはじめに、「衆生はもともとは仏様である。この仏様は、すぐそばにおいでになるわけで、遠くまでも仏様の本心を探し求めに行くことはありません。」と戒めておられます。 この直指するもの自体は、自分の心の中にあるわけですから、外物に頼ることはないのです。要は、「いつも自分の心をしっかりさせておきなさい、」ということです。 最近の世の変化は激しく、人間性の無視や常識の逸脱など、不安と焦燥の毎日になっています。こうした時こそ、内仏(自己)への思いを新鮮なものとし、社会の細かい所も読み取る、堅固な自己の心を持ちたいものです。」
これは昔、子供たちと手鞠を楽しんだ良寛和尚(禅師)さんの漢詩の中にある言葉です。 禅師は四十歳の時、五合庵という庵を結び、七十四年の生涯のうち、二十余年に亘ってここで詩歌を詠まれました。 生涯懶立身(生涯身を立つるに懶く)/騰騰任天真(騰騰天真に任す)/嚢中三升米(嚢中三升の米)/炉辺一束薪(炉辺に一束の薪)/誰問迷悟跡(誰か問わん迷悟の跡)/何知名利塵(何ぞ知らん名利の塵)/夜雨草庵裡(夜雨草庵裡)/双脚等閑伸(双脚を等閑に伸ばす) この詩の意味は、「人生で立身出世はどうでもいい。袋には米三升。炉端には一束の薪。迷いや悟りはつまらぬことだ。名誉や利益などは塵のようなもの。雨の降る夜は草庵の中で両足を伸ばして眠るのがいい。」
昔、お釈迦様が亡くなられるときに、弟子のアーナンダが、これから先は、何を頼りに生きていけばいいのでしょうか、とお尋ねしました。お釈迦様は、「これからは、自分自身を拠りどころの灯明(自灯明)にして生きていくのです。それが無理ならば、仏様の教えを灯明(法灯明)としなさい。決して他に頼ることはできません」と諭されました。 自動車は、昼間は自由に走れますが、夜の暗闇ではライトが無ければとても怖くて走れません。人生も同じです。 長い人生にあっても、全く先の見えないような困ったことがあるものです。 こんな時こそ、自分自身を信じ、他には依頼心を持たないで、この日灯明を頼りに一歩一歩前進して、困難を切り開いていくことが大切です。あなたの信ずる灯明こそ、前進の道標になるのです。
春の柳は緑が鮮やかであり、花は美くしい真紅の姿を見せます。自然界は、こうして春の息吹の中に包まれていくのです。これがありのままの自然で真実の姿です。滔々と川を流れる水の音も、緑に映える山の峯々も、すべては皆、お釈迦様のお声であり、お姿そのものであると観じるのであります。自然界におけるすべてのものは、隠すことなく堂々としており、ありのままの、真実の姿にさからうことは出来ません。無心でもってこれに従うことが大切なのです。大道を見据えて、妄想や邪念を取り去り、真実をつかまえていなければいけません。 私たちも、日常に於いていろいろな出来事に対し、悩み、苦しむ事が多々あります。 水は冷たく火は暖かいように、率直な気持ちでその物事に接するようにすれば、その出合いを純真に受けとめることができましょう。そんな境地を忘れないで人生を送って下さい。
お釈迦様が、霊鷲山で説法された時の出来事です。席におつきになりましたが、一言も発せられず、ただ、金波羅華のお花を一枝かざして大衆にお見せになられただけでした。 この時十大弟子の中でただ一人、迦葉尊者のみが理解されてお釈迦様の真心が伝わり、にっこりと微笑まれたのです。お釈迦様は、その微笑から「以心伝心」によって、わしのあとは、あの尊者にまかせようといわれ、仏教の大切な事柄を迦葉尊者に授けられたということです。 正月には鎌倉七福神詣りをされた方もおありと思います。その中のおひとり、布袋尊は、浄智寺に祀られていて、微笑を浮かべながら前方を指さされて、「幸福は貴方の後にありますよ」といわれているのです。この布袋尊の微笑を拝むだけでも心が豊かになり、幸福を感じられます。これこそ「以心伝心」なのかもしれません。
紅炉上一点(ルビ こうろじよういつてん)の雪(ルビ ゆき)。師走(ルビ しはす)を控え、時の流れの中で、私たちはいろいろな事件やめぐり合いを経て、この一年を終ろうとしています。十二月といえば雪の季節です。赤々と燃えている囲炉裏(ルビ いろり)の上に置かれた一握りほどの雪でも、赤い火の力には忽ちにして融けてしまいます。人の心の動き一つにしても、つまらぬ想いの妄想(ルビ もうぞう)や、いつも決断に躊躇(ルビ ちゆうちよ)するような分別心(ルビ ふんべつしん)などのため、大変苦労することがあります。そうした時こそ、しつかりした仏心(仏様の大慈悲心)や仏性(万人誰にでも具つている清浄心)などを自覚し身につけているならば、悩みはすぐに追い払えるのです。 嬉しいこと、悲しいことなど、喜怒哀楽のすべては、過ぎ行く時々の風雨と共に、流れ去るのです。先には希望に満ちた素晴らしい未来があるものと信じ、来る年をたのしみにしたいものです。
私達が一つの仕事を何とかやり抜きたい時には、心を奮い立たせるために気合いをかけますが、禅ではこの力を大死一番(先ず死んだつもりになる)といいます。「大死底の人」というのは、この大死一番を決心した時の人をいいます。これは肉体的に死を覚悟することではありません。それは懸命に自己を忘れ、両忘のように対立する意識など全部捨て去り、只管無心に徹することが大切になります。この境地になった人が大死底の人なのです。 生きることが前提ですから、例えば死をも決心する位の信念を必要とする事を言います。 趙州禅師(七七八ー八九七)は、碧巌録の中で、一度は死んだようになっても、生まれ変わった時がたのしみであると言われています。 日進月歩の社会にあって、新規の仕事などには、死をも賭した勇猛心こそが大切になってくるわけです。
秋を迎え、久しぶりに「百不知百不会」と書かれた朝比奈宗源老師のお軸を床の間に掛けました。思い出されたのは、私の師匠の井上禅定師が、教育界で貢献された方におつけした戒名(絶学院無為宗閑居士)の由来です。絶学とは、学問をやめた方ではなく、しっかりとその世界を極めた方である。無為とは、為すことがないのではなく、十分に盡くされた方である。そして、宗閑とは暇な人ではなく、偉大な方であったと、こうした意味が含まれています。 同じように、不知や不会は、単純に知らないとか、会得できないなどということではなく、禅語の解釈では、世のあらゆるすべてを熟知し、知り盡くして、無心、無我の境地を十分会得した時、その人は、すべてを超越して、「知らず」とか「会得せず」といえるのです。これが禅の根源になります。この禅語の深い意味合いを理解して下さい
百丈懐海禅師(八一四寂)の作られた禅門僧侶の守るべき規則(百丈清規)では、作務が第一に大切とされ、次に坐禅。読経は三番目になっています。 禅師は八十才の高齢になっても、毎日の日課である作務を続けられていましたが、弟子たちは心配して作務の道具をかくしてしまいました。作務の出来なくなった禅師は困った末、「一日作さざれば一日食らわず」といわれ、御自分から召し上がらなかったのです。つまり作務は禅の修行そのものであると考えられて、修行のための作務をしなければ食事をとらないという意味です。「食うべからず」とは意味が違います。 年をとられても、規則を作られた方として、自己を律することに厳しさのある禅師の心意気は、今昔はもとより老若を問わず、学びたいところです。 (筆者は浄智寺閑栖)
私たちが、床の間で見る掛軸の中には、白地に一筆で、墨痕鮮やかな円を描いたものがあります。これが一円相です。 中国の僧燦禅師(六0六寂)は、一円相について、「円(まど)かな形は太虚(たいきょ 天空・大空)の実相を意味し、そこには不足のものや、余分なものは全く見られず、そのすべては円満そのものである。」と説かれています。つまり、一円相は宇宙万物の根源を意味し、単純と思われる中に、円満で無限の力を内蔵していると考えられるのです。 禅宗の僧侶が葬儀などで引導を授ける際に、扇子や手指で面前に大きく一円を描くことがあります。これは一円相に、仏心の絶体な真理から生まれる新しい力を求めることになるのです。毎日の多忙な人生にあって、思わぬことに遭遇することがありますが、何時も心にしっかりした一円相を描いてほしいものです。(筆者は浄智寺閑栖)
中国、後漢の頃の故事です。ある老人が町で商売をしていましたが、夕方になると、いつも店先に吊した壺の中にツルリと入るのが習慣でした。これを見張り役人の男が、高い楼門から見ていて不思議に思いましたが、やがて老人と親しくなり一緒に壺の中に入ることが出来ました。そこは広く立派な部屋で大いに歓待を受け、辞去して外に出ると、もう時代は十数年も経っていました。この壺の中の世界は時代を超越した仙境で、時の動きは人間界と異なり、悠々としかも足早やに過ぎ去っていくのです。 古人は禅の悟りの境地を、このような世界の中に求めたのでしょうか。私たちが夢中になって仕事に没頭し、気付いた時には思わぬ時間になっていることがあります。精を出すことが少しでも悟りに近づくならば、努力こそは人生の貴重な励みになりわけです。 (筆者は浄智寺閑栖)